真剣な会話
1984年、富小路三条に最初の「さらさ」が開店した。拾ってきた家庭用のガスコンロ、手づくりのクッション、知人にもらったぼろぼろの冷凍庫。先立つものがない中、アイディアと直感を頼りにつくり上げた最初の店は、京都初の「町家リノベーション」の店でもあった。それから25年。京都市内に6店舗のカフェ・レストランを展開するまでに成長した「さらさ」は、さらなる飛躍を目指して走り続ける。
Q.今では町家で飲食店というのはかなりメジャーなスタイルですが、開店した当時はまだそういったお店はあまりなかったんですよね。
当時は町家という呼び方もなくて、「民家」っていっていたくらいですから、かなりめずらしかったと思います。当時はポスト・モダンが最先端で、建築ではコンクリート打ちっぱなしのモダンな空間がもてはやされていた頃。古い民家を使って店をしようという発想は誰も持っていなかったんじゃないかな。
かくいう僕ら(現代表取締役・大塚さん、経営パートナー・岸本さん)も、時代の逆をいく空間で何かするというところに面白みを感じてはいましたが、家賃の安さと広さ、改装OKというところにひかれたというのが本音で、最初から明確にヴィジョンがあったわけではありませんでした。とにかく民芸調にだけはしないように気をつけ、日本家屋で暮らす外国人の友人のアイディアにインスパイアされながら店づくりを進めていって。「あ、これはいける」って確信したのは、改装の途中で壁に大きな油絵がかかったとき。ぼろぼろの土壁に洋画がすごく映えて、その不思議な調和がすごくかっこよく見えたんですよ。
Q.今のこの成長を、その当時予想していましたか?
どうかなぁ。最初の3年くらいは暇で仕方なかったですからね(笑) 売り上げは数千円という日も多く、お客は半分が外国人という有様でした。ただ、かっこいいことをしているっていう確信はあったし、「いつかこのかっこよさを人はわかってくれる。それまでの辛抱だ」って気持ちはありましたね。
実際、当初からアーティスト肌のクリエイティブなお客さんが多かったのもあって、次第にこの空間を使ってライブやギャラリーをしたいという要望が増えていきました。当時はお店自体が暇だったこともあって、依頼があれば「どうぞどうぞ」という感じで( 笑) 気がつけば2年先まで予約がいっぱい、という状況になっていました。
今では飲食のお客さんが多いので、当時ほど積極的に開催するのは難しいですが、西陣店では今でも定期的にライブを行っています。
――その頃の名残でしょうか、さらさにはどの店舗もどこかサブカル的な空気が流れていますよね。
サブカルに限らず、さらさではクリエイティブをすごく大切にしています。それはお店の中だけではなく、生活の中でも。これは個人的な意見ですが、人間って基本的に何かをつくり出していないと安定しないと思うんです。普段仕事をしていると、どうしても分業的な感じになってしまうでしょう。君はここからここまで、あなたはここからここまでって感じで。でも、それだと仕事を最初から最後まで見届けることができない。知らず知らずのうちに、バランスを欠いている状態になっているんじゃないかと思うんです。だから、写真でも絵でも何でもいいので、自分の頭で考えて、自分で実行して、つくりあげたものを自分の目で見るということが大事なんじゃないかと。
お店をつくるときにもそれはすごく意識していて、さらさでは新店を出すときにその方針はすべて店長が決めるようにしています。自分の頭で考えてもらって、それを実行して、実際に店に立って判断してもらう。だから今さらさは6店舗ありますが、どれも形態はバラバラでしょう? これがもし、トップダウン式で上から「こんなお店にするから」っていわれるものなら、今のさらさの飛躍はなかったと思っています。

